挨拶を丁寧にできる人とできない人
「はじめまして。この度はお世話になります。よろしくお願いします。職場での職員同士の挨拶について悩みと言いますか不満があり、毎日イライラしてストレスを溜めているのでご相談させていただこうと思いました。こちらは毎朝、笑顔を作って「おはようございます」と職員全員に(デスクが6人分くっついて固まっています)挨拶をしているのに、こちらを向いて返してくれるのは普段から感じの良い男性二人だけです。他の4人は全員パソコンに目をやりながら「まーす」とほんの小さくつぶやくだけです。「おはようござ」の部分すら言いません。人間として欠落していると思います。忙しい仕事なので少しは理解できますが、それでも一瞬顔を上げて目を見てくれれば、もはや会釈だけでもじゅうぶんです。この考えがすでに異常だと自分で危機感を覚えます。どうしたら対処と言いますか、自分の中で消化・処理できますか。アドバイスを頂けると幸いです。」
初めまして、ご相談ありがとうございます。就労相談室ギフテッドの相談員Kです。よろしくお願いします。
文面からしてご相談者様はとても礼儀を大切にしていらっしゃるのが伝わってきます。こういったマナーやモラルは、自分と他者で不一致が起きると、望ましい言動をしている側が疑問を抱くというのはごくごく当たり前のことだと私は思います。
今回の私の結論ですが、これからはその男性お二人のために挨拶をしましょう。
一見すると今まで通り全員に向けて挨拶しているように見えますが、相談者様の心の中では全員ではなくそのお二人に挨拶の言葉を捧げてください。
哀しいことですが、挨拶に価値を感じていない人は多いのです。おそらく4名の方は自分が発する挨拶も適当なのではないでしょうか。目も見なければ単語として成立すらしていない。コミュニケーションの初歩、挨拶というものを大切にせずに生きてきたのでしょう。
家庭や学校の教育に問題があったのか、それ自体にご本人が真面目に向き合ってこなかったのか、はたまた過去は挨拶を大切にしていたけど、ご相談者様と同じ目に遭って「もうやめよう」と考えが変わってしまったのかもしれません。
そして相談者様のおっしゃる通り忙しくて業務過多となり、例えば一瞬でも目を離すとどこまでやったかわからなくなったり、思考や集中が途切れてしまったりといった事情があるのかもしれません。それを犠牲にして挨拶を大切にする人もいれば、ないがしろにする人もいるでしょう。
ですがそれは相談者様とは関係のない話で、相談者様に挨拶を返さなくて良いという理由にはなりません。
「与えよ、さすれば与えられん」という言葉がありますね。自分がして欲しいならまず自分がしようという行動理念は、完璧ではないですが私も日常においてたまに頭をよぎり行動に移すことがあります。(しかし人生経験上、悲しいことに与えられることには期待をしていないので、返ってきたら大感激です)
相談者様はそのお二人に与えましょう、何故ならそれに対してしっかり相談者様はお二人から与えられるからです。
相談者様の「もはや会釈でもいい」という考え方も、自信の価値観のハードルを下げ、ストレスを回避するための思考転換という工夫ですから、いいと思います。私は異常化してるとは思いませんので、ご安心ください。しかし「自分を異常だと感じる程に無理やり自分を変えようとしている」ことに相談者様が新たなストレスを感じてしまうのではないかと思うので、できれば無理をしないでいただきたいのが本音です。
挨拶は微妙でも、通常の会話においては積極的だったり、普通またはそこまで感じの悪くない人も多いです。もしかしたらその4名の方も全員もしくは一部の方が会話でのコミュニケーションは問題ないかもしれません。
だとしたら「挨拶もちゃんとして欲しい」と思うかもしれませんが、何を「マナー」とするのかは本当に人それぞれで「悪いなあ」と自覚している人も何も考えていない人もいて、いずれも礼儀正しいといわれる行動は起こしていないので、マナーを重んじる人からしたらイライラしてしまうでしょう。
私もそういったことがあります。いつも「またきっとイラっとするはめになるんだろうな」と思いながら地下鉄に乗っています。地下鉄の昇降口の両端に背をもたれて立ちふさがる人たちに対して「自分がよければいいんだろうなあ」と思います。傍から見ていると、カバンを押しつけられていても無表情でスマホを見ながら決して避けない人もいてもはやすごいなと思います。
ここでは書けませんが、私はその出入り口を狭くしている人々を頭の中で「とあるもの」に例えて「面白いな」と思って観察することにしています。それによってイライラの時間が一瞬で済むようになりました。
とにかくこういった「マナーのない人」と誰かに対して感じたときの合言葉は「自分の常識は他人の非常識」という言葉です。(ここで言う非常識というのは「非常識だなあ」と非難する意味ではなく「別に常識だと思っていない」という意味で捉えていただければと思います。)挨拶を丁寧に返さない人に非常識だと思わないが、上記の地下鉄の現象は非常識だと思う人もいるかもしれません。日常生活において環境や命や財産を脅かす行為(歩きタバコや歩きスマホなど、落とし物を盗む、路上駐車するなど)ですら、人によっては気にせず行うでしょう。中には「人通りがないし」「急いで返事をしたい」「1円玉だからいいか」「一瞬だけ許して」と事情があるのかもしれませんが、他者には無関係です。これくらい日常的行為はどうしても個々の価値観、多数派や少数派でなんとなく決まっていたり状況によって変化する曖昧なもので、誰しもが自分にとっての非常識や道徳、倫理観から外れているものから自分の身を守ることに徹するしかないのです。
ですので、最初の結論通り、相談者様も「全体に向けて挨拶する姿勢は取るけど、心の中では二人にだけ挨拶してるんだ」と思うことによって、自分の心を守るようにしてみるのはいかがでしょう。
目を見て挨拶できる人って本当に感じがよいと思いますから、相談者様がお二人に救われている(大袈裟?)のと同時に、相談者様によって救われている人もいます。自分がされて嫌なことはしない。それができている相談者様は芯のある生き方をしていらっしゃると思います。人によって態度を変えたり、目には目を、という考え方をする方もいらっしゃるので、それはそれで哀しいことですね。
人間、同じ価値観をもつ者同士が本当に仲良くなることができるでしょう。それでも100%が一致することがあるのかは定かではありません。
ですので、価値観が合う部分に焦点を当てて人と接しながら、「非常識だなあ」と感じる部分もご愛嬌と思うことができれば、無敵なのかもしれません。そんな風に生きていければどんなに素晴らしく、楽なことでしょうか。
そうありたいと思いながらも、イラっとする瞬間は反射的に起こるし、引きずることもあります。日常的に関わることになる人に対してそれが起こるとしたら、その度に「いや、この人には素敵だと思える特徴もある」と思考をシフトできるようになると働きやすくなるでしょう。二つ目の結論として、4人の方々に対して「いいとこ探し」をしてみることもおすすめいたします。
マナーや礼儀を意識できることは、相手に不快な思いをさせたくないという優しさです。相談者様のお気持ち、お考え、行動は尊いものです。失うのはあまりにももったいない。しかしストレスが溜まるなら話は別です。「自分は変わりたくない」と思いつつ、ストレスを軽減できる方法を見つけることができればと思い、回答させていただきました。
余談ですが、4月に入社した新人さんが「挨拶を返してくれなかった」という理由で、退職代行サービスを利用して初日に辞職するという例があったそうです。その人にとっては、挨拶は働けるかどうかを左右するほどに重要で、返してもらえなかったことに大きな驚きと悲しみ、または怒りに苛まれたのでしょうか…
ですがまあ、「ざーす」と呟かれるだけなのも、無視とほとんど、あくまでほとんどですけど変わらないと思ってしまうのは、私の価値観でしょう。
以上です。お読みいただきありがとうございました。少しでも相談者様のお役に立てたら幸いです。そしてお悩みが解決することを願っています。
相談員K